ミシェルに勉強を教えて貰うようになってからこっち、現在では貴族の子弟の学ぶ一般教養くらいは理解出来たというところだろうか。
無駄な知識は入れたくないとの王女の言から、魔力及び魔術に関連するものは一般知識のいの字も習っていない。
無駄を省いたお陰でか、今ではリニムを取り巻く状況、そして情勢くらいは分かるようになっていた。
「つまり周辺諸国は、今ではどの国の心臓とも呼べる大切な機関の一部を担っている、魔石がどうしても欲しいわけか。んでもってリニムの国王はそれを独占して意のままにしているってわけなんだ?」
高価であればあるだけ当然それは高く売り払おうとするのは道理のはず。
頭に浮かんだ方程式をそのままに、王女はなぜそれがいけないのかが分からないと首をひねるようにして言えば、ミシェルは内心のそんな考えになど当然気づくはずなく、それが事実なのだとばかりに至極滑らかに語りだした。
「ええ。有体に言ってしまえばそのようなものです。ただしリニムの言い分としては増産が出来ないような代物なものですから、他国の言うなりに任せて大量に輸出するわけにはいかないのだそうです」
リニムの言っていることのほうが理に適っているように思えるのだが、どうしてそれで独占していることが悪であるという図式になるのか、やはり分からない。
「国によっては魔石に命を預けきってしまっているところまであるのが痛い話しです」
「それさえなければリニムがこうまで責め立てられる理由はないのですが……悲しいかな、これが現実です」
つまり他国としてはもっと欲しいから魔石をもっと寄越せ、それもお金を払わずに済むならそのほうが良いから奪ってしまえ――と、こういうことなのだろう。
なんて勝手な話なんだと思いはするが、人と言うのは元来欲深だ。
それに王女だって他国の人間であったならばそう考えもしただろうから、全く分からない話というわけでもない。
けれど悲しいかな王女はリニムの国で暮らしているわけで、どちらかといえばリニム側に立ってものを見てしまうのは当然の流れである。
だからこそ他国の勝手な言い分には、どれだけミシェルから言い聞かせられようとも納得がいかないままだった。
国によっては魔石なしに生活することすら出来ない国すらあるのだと聞けば、これが便利に慣れ過ぎた人間のなれの果てかと蔑みたくなるだけだが、それによって命を繋いでいる者まで居る国があると言われると、流石にそちらには侮蔑の言葉は投げかけ難いものがある。
リニムが唯一の原産国である魔石、それ一つで国一つを長ければ十数年もの間動かす事の出来る程の力を秘めていると言われる、貴重な資源。
それはリニムの国庫を潤してくれる大切な財源でもあったが、常に争いごとの種となるものでもあるため、長年悩みの種となってもいた。
他国にとってみれば製造法管理その他諸々全てを独占しているリニムは、資源を独占する浅ましい国家と見えるのだろう。
魔石一つが国家予算に匹敵するほどの値段がついていることもあり、他国としては何とかしてその製造法だけでもと虎視淡々と狙っているような有様だ。
それは今も昔も変わらない。
だからこそリニムと友好関係を築きたがる国家が多かったのだが、今は隷属させることしか考えていないらしい。
(何か、決定的な何かがあって……考え方が変わったんだろうな)
それが戦争の起きた理由なのだと理解はしたが、どうしてこれを避けることが出来なかったのかと、今も悔やまれてならない。
「魔石ってのは結局何なんだろうな?どの国にとっても今の時代、貴重かつ重要なものになってるのは理解出来たけどさ、それはリニムで作っているのか?それともそこの山ン中ほじくり返してきてでもいんのか?そこら辺すらさっぱり分からんときてる。ミシェルの授業にも出て来なかったし……結局、肝心なことは何一つわかんねーときたもんだよ」
「ああ、そう言えばそうでしたね。肝心要の部分はとんと出てきませんでした」
「それは私も知らないからです」
「知らない?……つまり、魔石っつーのは、リニムの最重要機密事項ってことか?」
「……その通りです。私の様な下っ端文官では、そんな重要な情報は知らされていないのです」
王女はそれを聞くなり押し黙ってしまった。
つまりそれは文官には魔石に関わる資格なしということなのか、それともミシェルの言葉通り、国の中枢に位置する人間しか知らぬ情報ということなのか――どちらにせよリニムを叩けば最終的には魔石に行きつくということだろう。
戦を仕掛けた側は、そういう雑な考え方で攻めて来ているに違いなかった。
それはミシェルのような王宮勤めの文官ですら知りえない情報だということからも知れようものだ。
彼等文官ですら知らないのだから、それこそ他国の者が知っているとは考えにくかった。
寄越せと言って出て来ないのだから、後は奪えばいい――こういう理屈なのだろう。
戦となれば最終的に何が目的なのか、停戦交渉をし始めれば自ずと答えは導き出されることになろうが、目的は魔石だろうということは明明白白のことである。
それはリニムの重鎮達も承知しているはずだ。
戦が始まればどうなるか、夢で幾つもの枝葉の先を見たものの、前からも後ろからも敵が来ているのである。
どれも答えは決まっていた――リニムの負けだ。
けれど、一つだけ気になることがあるのだ。
何故全ての戦で、リニム国王は停戦交渉を持ちかけることすらしなかったのか。
話しあう余地すらないのは何故なのか。
魔石を渡せば国は助かるのに、それをどの夢でもしていないのである。
それを思えば一つの答えが導き出されてくる。
(渡さないんじゃなくて、渡せない……んだろうか?)
王女にはそれ以外、考えられなかった。
+++
「このままいけば王立図書館の蔵書の半数は頭の中に納めたことになりますね」
これならもう外で暮らすのに支障はないのでは?と、アイアンバッハがこそりと囁くのだが、王女は心ここにあらず。
ああ、うんと、気のない返事を返してくる。
「アッシュ?」
「いや、もうちょっと……ううん。この図書館の本を全てそらで暗唱出来るくらいまで、いようかなって思って……マス」
「……アッシュ、それは王妃を気にしてですか?」
「う……う、ぁ……うん、まあそういうことっつか、なんか……ね、最後のアレが気になるんだわ」
「ですが……あなた様は」
そのままアイアンバッハは口を噤んだけれど、本当の親子ではないのに?と、責める様な言葉が聞こえてくるようだった。
アイアンバッハだけでなく、本当の母にも悪い気がする。
確かに王女もそう思うし分かっているのだ。
けれど、見捨てられない。
あんな風に中途半端な状態で別れたからか、ただ――辛い。
「分かってるっての。もう少しだけでいいんだ、アイアンバッハ。コレ、もう少しで全部読み終わるから、それまで……居させてくれ」
頼む、そう言われてしまってはアイアンバッハも鬼では無いため、非情な手段には出られなかった。
それに無理に連れ出したところでこれでは危険すぎる。
外は開戦一歩手前の情勢とも最近では聞こえるほどだ。
そんな場所にまともに戦える状態でない王女を連れて二人旅など出来ようはずがない。
この時既に王妃の元を訪ねたあの日より、三日ばかり経過していた。
更にそれから二日ばかり経過した。
その日も今まで通り、目が見えないのだから耳で覚えるしかないと、王女は二人の声が嗄れるまで交互に本を読ませ続けた。
片方が嗄れればもう片方に、これを続けて気がつけば、この場にある書物はほぼ読み終えてしまっていた。
この頃になると王妃のことを忘れようと王女は努めて明るくふるまうようにしていた。
それを見守るアイアンバッハの目は、いつになく厳しいものだった。
けれど、それに気づくことの出来ない王女は、闇を前にしてへらっと笑うしか出来ない。
その笑みを向けられた者が、どんな顔をしているのかに気づくことも出来ずに。
「俺……もうここに住む。住み着く」
「今も住んでいるも同然ではありませぬか」
図書館周辺は自然が手つかずで残されているためか、獲物は多い。
と言うのも、二人は元から野外で短刀一本で野兎などの野生の動物を仕留めては、その場で捌いて食って生活をしていた。
基本的には当てられた一室で暮らせば食糧にも事欠かない生活をしていたものの、あまりにも刺激が足りないと、年に数度、放浪の旅を適度な運動くらいの気持ちで取り入れていた二人である。
こういってはなんだが、こういった生活が彼らにとっての道楽の一つであり、息抜きでもあった。
その旅に比べれば辛さをほとんど感じないようなものだ。
なんせ屋根付きの寝床がある。
これだけでも二人にとってみれば天国のような環境である。
そこに教師までついてくるのだから文句なしと言うわけだ。
アイアンバッハは王女には流石に危険であろうということで、一人藪の中に入っていくと、近場を狩り場と定めるなり野兎や猪を狩って肉を調達してきた。
勿論血抜きなどの処理はお手の物だ。
綺麗に肉にされたものを持ちかえってきたアイアンバッハをねぎらうと、そこに王女がせっせと薪になりそうな枝を集めて来て二人で肉を焼いて食うのである。
更には図書館周辺には小川があるようで、そちらで毎日身体は清めているためか、二人は野人そのものな生活をしているくせに臭いもしない。
そんな食事には困らない、清潔にする水場もあるとくれば、居住区に定めたくなる気持ちも分からないではないのだが――牢獄に入っているはずの二人がこんなにも奔放に出歩き回っているようではどうかと言える。
余談だが、ミシェルはそんな二人が悩みの種とばかりに、最近では胃薬と頭痛薬が欠かせなくなってきているという。
少なくとも牢番くらいはつけるべきだったに違いないのだが、今は王宮も上を下への大騒ぎ、こちらに人手を割いている余裕などないのだろう。
今も二人は表向き牢獄に入っているという話にはなっているが、実質野放しのままだった。
「蔵書は先ほどの物で終わりです」
「案外早かったよなぁ」
「本当に。全て一度読んで聞かせただけで頭の中に入れてしまわれるとは、本当に素晴らしい記憶力で御座います。このミシェル、感服致しました。時の魔術が掛けられていたからとは言え、一週間ですよ?集中力と記憶力が無ければこれだけの蔵書を全て丸暗記など、不可能でしょう」
「褒めてくれてあんがとなーい。でも時の魔術あってのことだし、俺が特別すぐれてるのかって言われると微妙じゃねぇ?だって実際は一週間じゃねーし?……にしても、ほんっと便利だよな」
「便利というよりも、これは本来ここの蔵書の保存目的で掛けられた魔術ですから、利便性云々は考えられていなかったのではないかと」
「そうかもなぁ。でも、それを考えずにここを作ったんだとすると、勿体無いわな。ここで活動すれば、外の数倍は活動出来るわけだろ?なのに皆知らないなんてなぁ……修練には持って来いなのに勿体無ぇーったらねーわ」
王女が修練というのは、目の見えない生活を送る上の何かであろうか?そのように一人考え納得したミシェルは、そういう考え方であれば便利でしょうねとのほほんと答えた。
微妙に思考がすれ違っているのだが、そのことにミシェルは気づかない。
「本を劣化させないためとはいえ、図書館丸ごと、そしてここにある全ての書物に永続する術を施すなど……古代のリニムの方がたは、大変素晴らしい技術を持っていたのですね」
「ええ。他国には伝わっていない、貴重な魔術だそうです。と言っても、私も外の世界は知らないため、話しに聞いただけなのですけれど」
王立図書館及び、その中にある書物全てにかけられた、永続的に続く魔術は時の魔術だ。
知識を未来永劫保存するために、過去のリニムの者達はこの魔術を図書館全体にかけた。
これにより本は劣化を免れているというわけだが、その副産物的な作用により、この室内で本を読み聞かせて貰った王女は、一週間でここの書物全てを耳で覚えることに成功したのである。
書物はおよそ二万冊、一冊一冊の頁数はそれ程無かったものの、それでもそれを読みあげるのも、記憶するのも大変な量であることは間違いない。
けれどこの図書館では、一週間は約一か月に相当する。
一か月の間、寝る間も惜しんでせっせと読み聞かせてもらった王女は、これらを知識として自身の糧とすることに成功したのだ。
ある意味ではこれに付き合う方も付き合う方だが、やらせる方も相当だった。
付き合った方は一カ月間もの間、ぶっ通しで本を読み続けたということなのだから、それも分かろうはずというもの。
王女は恐ろしいことに、一度聞いたものは全てさらりと暗唱してみせた。
一言一句、それは違わない。
それどころか淀むことのない朗々とした語り、それはまるで歌を歌っているようでさえあった。
その素晴らしい記憶力もさることながら、王女の発する美しい旋律に、ミシェルは感嘆したのかほうっと熱のこもった息を吐き出す。
「途切れることなく歌うように、全ての文章を間違うことなく暗唱することがお出来になるなど……矢張り王女殿下は素晴らしいお方です」
それを聞いて我が事のように胸を張って誇らしげにするのはアイアンバッハだ。
そうでしょうとも、そう言おうとした次の瞬間、ふいに大きな揺れが図書館を襲った。
「なんですっ!?」
「地震か?」
揺れに続くのは地鳴りである。
それも可也大きい。
図書館の蔵書がばさばさと棚から落ちてくるくらいならばまだ可愛いもので、棚がまるごと倒れかかってくるのを支えてやったりなんだりと、三人は忙しく動きまわった。
ただし実質役に立たない者が一名混じってはいたが。
「アッシュ、あなたはいいですから!」
「はあ!?いや、でもっ!」
「邪魔です、王女殿下!」
酷い!とは言えなかった。
実際に王女は二人の邪魔になってしまっていたからだ。
そうこうやっていると今度は床がぎしりと音を立てて歪み、かと思えば、唸りを上げて身を震わせ始めたのである。
ずずずず、地中深くから響く地鳴りを耳にした王女は、王宮へと通ずる大扉を開けて外へ飛び出した。
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