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リニム――古の時代よりその国はあると言われている。
国土の大半を深い森で覆われたその国は、木々にまるで守られるようにしてひっそりと存在していた。
なぜひっそりとなのか――それはリニムという国は他国からの干渉を全く受けることなくきた国だからこそ、そのように言われていた。
どこの国ともリニム国内では会うことがなく、会談を設けるのは必ず他国にリニムの使者が赴いて行われた。
異邦人は受け入れない、それがリニムと言う国なのだ。
リニムは他国に興味がないからこそともいえる強い拒絶――けれど、ではそれが他国も同じかと言えば否である。
他国はリニムに興味津々。
それどころか仲良く付き合えないのであれば、侵略して乗っ取ってしまえと――常にこういう態度が透けて見えるような国ばかりだった。
けれどリニムは他国から干渉を受けずに今の今までひっそりと暮らしてきた。
なぜならば、リニムに他国から攻め込もうとするならば、必ず通るイノモノマ平原があるのだが、ここから侵攻していっても必ずと言ってもいいほどに阻まれる壁があったからである。
それはリニムを守るようにある、深い森だ。
そう、リニムの長い歴史の中、決して他国の侵入を許さなかったのも、この天然の要塞あってのこと。
いつしか森はこう呼ばれるようになった――迷いの森と。
人々を惑わす迷いの森は、慣れているリニムの者でさえも時折迷わせる、そんな樹海の森だった。
迷いの森に守られたリニム、その背を預けるのは標高の高く険しい山々だ。
まるで剣にも見える鋭利な山がびっしりと並ぶそこに、背を預けるようにしてリニムはある。
山に背中を預けるようにし、前方は迷いの森に守られて、リニムは他国に怯えることなく、ひっそりとだが確実にこの大陸で栄え続けてきたのだ。
そしてそれと同時に、この大陸で最も長く栄え続けてきた歴史ある国、それこそがリニム王家。
今日はそのリニムの王女が生まれた日――初めて行われる生誕祭の日であった。
お蔭で国中どこもかしこも王女を祝うためにと大いに沸きたっている。
それもそのはず、リニムでは王族は数えで五つの時に初めての生誕祭を迎えることで、王族と数えられるようになるのだ。
生誕祭の儀式で初めて名を与えられ、国中にその存在を示される。
今日と言う日は、今まで名も持たぬただの娘だった少女が、王族として認められ、更にはその名を国に示され、王女と認められる晴れの日なのである。
「国王陛下、万歳!」
「王妃様、万歳!」
「王女様ばんざーい!」
新たな主を迎えられるとあってか、どの顔も嬉しそうだ。
国王も王妃も国民達に愛されているからこそ、こうまで喜ばれているのだろう。
男たちは今日ばかりはと酒を浴びる様に飲み、女達は歌い、踊った。
近年ではどこもかしこもきな臭い話しばかりで気が塞ぐことが多かった。
友好国だったはずの国に、リニムは何故か次々手を切られているというのである。
見えないところで何かが動いているのは分かるものの、それを止める手立てが未だ掴めずにいる――そんな国の状況が方々からチラホラと聞こえてくるのだから、何をするのも国民自らが「自粛しよう」という動きになるのは仕方のないことかもしれない。
噂ではあるものの、周辺諸国によるリニムへの包囲網が着々と築かれつつあるとも最近は聞こえてくる。
そのお陰で国民感情は日をおうごとに悪化の一途をたどっていたのである。
そんな誰も彼もが国を憂いて、何に関しても自粛自粛の空気を一変する今日という日は、皆が心待ちにしていた吉事であったのだ。
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祭壇の前に引き出されたのは今日、五つの誕生日を迎えるリニムの王女だ。
彼女にまだ名はない。
貴族の男は王女の小さな背中を見つめ、細い猫の髭のような印象を与える髭をついと撫でつけ、妙に芝居がかった仕草で手を振ると、ゆっくりともったいぶって口を開いた。
きらきらしい衣装も相まって、そうした仕草が妙にしっくりくる。
「盲目の王女と言うことですからな、さぞ魔力は高いのでしょうな」
「そうでしょうとも。さぞ、と思いますぞ。これでいざ開戦となったとて、リニムの勝利は確固たるものと決まったも同然でしょう」
国民には知らされてはいないものの、今のリニムは大変な窮地に追い込まれていた。
友好国は全て手を組み、徒党を組んでリニムに宣戦布告とも取れる書状を突きつけてきたのである。
いつ開戦になってもおかしくは無い中の生誕祭。
お陰で貴族達は城下町を見下ろして、民が歯目を外して騒ぎ立てるのを「何も知らぬ愚か者どもが」と悪態をついて蔑んでいる。
けれど、何故かそんな中で王女を見守る姿だけは誇らしげであるのが不思議なものだ。
――ただし、それはただ一人、王妃を除いてではあるが。
浮かれる民草とは違い、なんと王女の素晴らしいことか、とでも言いたげな貴族達。
この国では周辺諸国の者達よりも、魔力を持つものが数多く存在していた。
それもかなり桁違いの魔力量を保有していることが多い。
その中でも王家が飛び抜けて凄まじい魔力を持つことは、この国の者であれば説明されるまでもなく知りえている事実。
他国には噂程度しか伝わらないその力は強大な力であり、時には人知を超えるものであるとさえ聞くものだ。
桁違いの魔力というものが実際はどうあれ、その彼らの実力はリニムからの交易品で他国も十分にそれを理解していた。
実際に彼ら王家の者達は、その魔力の質もさることながら、その大きさも他の類を見ないまでに桁はずれのものだった。
現王も前王も、途轍もないほどの魔力を有していた。
更にはリニムにのみ伝わる話では、魔力とは、身体の一部などに欠損を持つ者に対し、それを補うための力となって具現化することがあるというのだ。
そしてそれは今まで外れたことのない事実でもあった。
もっとも近しい歴史では、五代前の王が王位争いの折の負傷にて、喉に癒えない傷を負った際のことだ、今までの魔力とは桁違いの魔力を得たという逸話が残っている。
因みに余談ではあるが、喉の負傷により声帯を失った五代前の王は、何らかの方法で他者へ声を届けていたというが、その方法は現代には伝わっていない。
けれどそれは大層リニムらしい方法だった、ということだった。
――さて、話は戻るが――王家、そして盲目として生まれてきたこの王女に、それはもう嫌が応にも周囲の期待は高まっていた。
「王女が祭壇を上がられるぞ」
盲目と言うこともあってか、手を引かれて祭壇を上がる王女の姿はどこか頼りなく映る。
だがそれも、強大な魔力を秘めているとなれば別だ。
いつ開戦するか分からない情勢となれば、戦力となる人間は齢五つの王女であろうとも、必要だった。
他国ならばいざ知らず、ここリニムには魔力が供給出来る人間さえいれば、他国の有象無象など、一斉に薙ぎ払うことの出来る『兵器』がある。
だからこそ、王女の秘めた魔力そのものが国中から望まれていたのだ。
周囲の者達同様に、王もまた、王女のことを誇らしく思っていた。
兵器として求められる王族。
けれどこの王は、それが自分の責務だとしっかりと認識していた。
幼き王女もまた、恐らくはそう遠くない日にそれを受け入れることになるだろう。
僅かにそのことを親として申し訳なく思ったが、こればかりは王家の者として生まれてきたものの責務である。
受け入れて貰うほかない。
王は自分の子だと言うのに、王女の顔を見たのは今日が初めてだった。
それもそのはず、王族の子供は全て生まれて直ぐに親元から引き離され、隔離されるようにして選王宮に籠められてしまう。
そこは王族の子らが初めての生誕祭を迎えるまでを過ごす宮である。
過去にこんな事件があった。
次の王の選定までにまだまだ時間がかかりそうだと言う時のこと。
その時代の王子王女らの暗殺が次々と起こったのである。
気づけば次代の担い手たる存在が一人も居なくなる寸前だった、と言うことがあったのだ。
それ以降王家は選王宮を作り、そこに王位継承までの期間まで子らを守るため籠めることとしたのである。
選王宮の中には王位継承者と侍女、家庭教師だけが居て、他には誰もいない、閉ざされた空間があるだけだ。
必要な水や食料などの確保は容易いように作られているが、それでも閉鎖空間に五年だ。
かなり厳しい仕事となることは分かり切っているためか、そのようなところでの勤めが出来るくらいに熟練の者しか中にはいない。
――とはいっても侍女は一月に一度だけだが、侍医を連れてくるために外へと出ることはあるのだが。
乳呑児の時分には乳母を与えて隔離する。
選王宮は古代遺跡を改築したもので、そこは中にいる者全てを守るように作られていた。
そこに籠めて子等を確実に生かすようにとしたのである。
過去にそんな忌まれるべき歴史があったために、五つまでは王族の子らをそこに籠める形で、今もそれは形式だけ残されてきた。
そのため国王でさえも自ら足を運ばねば、自分の子だとは言えその顔を見ることは適わない。
けれど王も王妃も、王女の顔を見るために選王宮へ訪れることはしなかった。
王女が生まれてからというもの、この国の情勢は常に不安定であったため、足を運んでいる暇がなかったのである。
初めて見ることが出来た王女はとても愛らしかった。
漆黒の髪、肌はしみ一つ見当たらない雪の様な白さ。
血が通っているのか疑わしいほどの白さはぞくりとするほどだ。
そこにひと際くっきりとした漆黒の線が引かれている。
その線はぱちり、ぱちりと、時折思い出したようにゆっくりと開かれては閉じられる睫毛だ。
漆黒の縁取りがされた美しい眼は、開かれるたびに蝶が優雅に羽ばたいているようだった。
蝶が抱くのはこれまた美しい玉である。
その美しい宝石にも似た両目が、何故光を映しこまないのか不思議でならない。
髪と揃いの漆黒――それはまるで黒曜石の如く艶やかで、ひときわ強い光を放っていた。
「器用なものよ……」
それは決して嘲って言ったわけではない。
指を壁に触れさせ、テーブルの縁を撫でることで王女は難なく前を進む。
足元が綺麗に整えられていれば、特に歩くのに問題はないようだった。
あれもこの歳になるまでの間に身に付けた歩行術かと思えば、思わずほう……と、感心から吐息が漏れた。
(ようやっと今日この日、王女の名を決めることが出来たな……)
王女になんと名を授けるか、今日まで王は悩み続けていた。
そしてひとつの名前を胸に抱き、王はその名を呼べる時をずっと待っている。
力を示した王女に名を与えるのだ。
だからまだ、今日という日であろうと名を授けられないでいる。
早くその名を呼びたいと願うあまり、王には周りが見えなくなっていた。
異常な程に顔色を悪くしていた妻――王妃のことすらも、その視界に映ることがなかったほどに――
目の見えない王女の前に引き出されたのは透明な宙に浮かんだ球体だった。
王家の血と魔力に反応するように出来たその球体は、王女の頭の二回りも大きな珠である。
その珠に触れればたちどころに祭壇からは光が溢れ、そしてそれを合図に祝福の鐘をかき鳴らす段取りがあるのだが、今か今かとそれを心待ちにしている者達の前で、司祭は王女の手を取りゆっくりともったいぶるように説明をしていく。
もっと早く出来るだろうにと見守る者達は苛立たしげだ。
「――さあ、これに触れるのです、王女よ」
「……触れればいいんだな?」
不思議な射干玉のような黒髪、そしてそれと対の黒曜石のような瞳は、この世界には珍しい稀有な宝玉だった。
そもそも赤や金など、色素の薄い頭髪を持つ者のほうが多く存在するのはこの国ならずこの大陸のほぼ全てのこと。
珍しい色は他にもあるが、それでも黒はやはり異色だった。
王女のほかにそのような色彩を持つ者の話など、聞いたことがなかった。
その上王女の父母も例外に漏れず美しい金糸である。
それも、闇の中に溶けることのないほどの、眩い光を放つ黄金だ。
金塊と張るほどの美しいそれに対し、闇を思わせるその色は、やはり異様である。
王女の目の前に浮遊するその珠に、王女は介添えをしている司祭に腕を伸ばされつつ、手をそっと触れた。
するとたちまち珠からは光が溢れ――る、はずだった。
けれど、どうしたことか、光はいつまでたっても溢れて来ないのである。
しんと静まり返る儀式の間に、じょじょに異様な空気が漂い始めた。
「これは、面妖な……」
「……光が溢れないとは」
どういうことなのかと貴族たちが口々にざわめき始めると同時に、王は失望の淵に断たせられたのか、みるみるうちに表情を欠落させていくと、ふいに首を巡らし、隣にある王妃の顔を食い入るように見つめた。
そして王は王妃の顔を見て確信したようだ。
「おのれ、貴様ッ!」
「ひぃっ!き、きゃあああ!」
王妃が悲鳴をあげるのも構わず、そのほっそりとした華奢な手首を掴みあげると、豪奢な椅子から引きずり下ろす。
それだけでは飽き足らずに、王はまるで乱暴に物を扱うようにして、王妃のことを玉座からぶんと叩き落とすようにして放り投げたのだ。
流石に王妃が祭壇の前まで投げ出されると、衛兵も貴族達もざわめきだした。
「この者どもを捕らえよ!」
「この者ども……とは?」
恐る恐る口を開いた衛兵の一人に、王は王妃と王女を指さし再度命じる。
「この、恥さらしどものことだ!」
「陛下……一体何を言っているか分かっているのですか!?」
青ざめた顔で王妃が叫ぶも、売女の話しなど聞きたくないわと、王は罵声を浴びせてこれを遮ってしまう。
長いリニムの歴史の中、王族の中に魔力を持たない者は生まれたことがなかった。
そのため王族の証明は全てではないものの、その強大な魔力がしてくれているところが多分にあった。
更には盲目という身体的な欠陥を持って生まれてきた王女に、これが全く無いなどとはそれこそ、有り得ないことなのだ。
だがしかし、祭壇に置かれた珠は光を放たなかった――と言うことは、今、それは現実に起きたのである。
これが指す事実、それは――
「王妃は不義を犯した!不義の相手も見つけ出し殺せ!!そしてあれは不義の子よ!王女を殺せ!不義密通の穢れた娘だ!我が騎士よ、今すぐこれを――断罪せよ!」
実際に今までも不義密通を疑われていた王妃は居た。
そのためこの儀式は王族ではないものを炙り出すためにも使われていた方法なのだ。
たった一度だけ、魔力を持たない者――と言うよりは、王族として相応しいとは言えないほどのちっぽけな魔力しか持たない子が生まれた。
当然ながらそれは、王の血を引かないまがい物で――儀式はその時、確実に役目を果たしたのである。
そして今回もそれは大変な活躍を見せたようだ。
ただしこの話は王の――ひいては一族の恥ということで、次代に継がれぬように緘口令が敷かれ、今ではその話を知る者は一人もいない。
ただ一人、王を除いて。
日を置くことは許さないと、王は「生誕祭は終わりだ」と苛立った様子で告げるとそのまま二人の審議を開始してしまう。
怒りのあまり何も見えなくなっているだろうことが誰の目にも明らかだったが、誰が王を諌めることが出来るというのか。
王の側近たる者達も仰天していて何を言えば良いのかさえ分からないようだ。
慌てふためき何事かを口にしているものの、それはほとんど意味をなさないものばかりだった。
怒りもあらわに王が命ずると、王の私兵たる近衛兵は、ややも躊躇う動きを見せていたが、それは他の列席者である貴族らも同じであった。
断罪せよなどと言われても、そもそも本当に王女も王妃も、彼らにとってみれば罪人なのかすら不確かなのだ。
ここまでそれを傍観していた王女は、ぐるりと首を巡らせるようにしてから、ふうとため息を吐き、続けて「ひどいもんだな……」と零した。
王女の脇を固めていた近衛兵等はこれにぎくりとしたが、王女は気にした風もない。
近衛兵は人形めいた容姿の王女が言葉を紡ぐ様を見て、今更ではあるものの、これは人なのだと確信したようだ。
「ん?」
「い、いえ……」
ごくり、生唾を下すと、王女に伸ばした手をぎゅっと拳を作って引っ込めた。
これは、殺せない。
王女を拘束しなければならないというのに、ふいに向けられた視線、ただそれだけで彼は王女から手を引いてしまったのだ。
まだほんの幼子だというのに、あまりにも美しすぎて、殺せなかった。
近衛兵達は王女はやりにくいと見て取ったらしく、王妃へと的を絞ったようである。
そもそも不義密通を本当にしたというのであれば、罪の証は確かに王女だ。
けれど、罪を犯したのは王妃その人。
近衛兵は王女には同情したのだろうが、王妃には何ら情けをかける必要なしと考えたらしい。
王の前へと王妃を引きずり出すと、縄をうたれた王妃の上体を、冷たい床石の上にぐいと押しつけた。
「陛下、わたくしは不義など犯しておりませぬ!」
「この嘘つきめ!私に睦ごとを囁きながらお前は別の者と情を交わしていたのであろう!」
「いいえ、違います!」
このやり取りをうかがっていた者達は皆思った。
王は何故か確信を持ってこれを言っているようである、と。
ならば、本当に王妃は不義密通の罪を犯したのだろうか――そう思い始めていた。
「王妃の首を撥ねよ!」
王と王妃の仲睦ましさは周知の事実であった。
それゆえ王の怒りの凄まじさに、誰もが動揺を隠す事が出来なかったのだ。
――そして、だからこそ誰も動けなかった。
この場でただ一人、王女その人だけが、馬鹿馬鹿しいとばかりに眉根を寄せて、まるでよそ事のように目の前で繰り広げられる修羅場を、冷静に観察するようにしてじっと聞いていた。
「お待ちください、陛下!わたくしが貴方様を裏切るなど、そのようなことあろうはずがありませぬ!この娘は悪魔の子なのです!陛下、わたくしは貴方様を裏切ってなどいないのです!ですからわたくしに御慈悲を!」
王妃は自身の無実を叫び、そしてあろうことか王女を悪魔の子と蔑んだ。
果ては自らの命乞いを始めたのだから王はこれにあきれ果てたものだった。
王を謀ったばかりか、自らが生んだ姫であることは間違いないというのに――既に王妃は母としての――というよりも、人として大切な情すら失っているらしい。
王は王妃への愛情が、すっとその瞬間消え失せたのを感じた。
それと同時に激しい怒りがふつふつと、煮え滾る様に湧き上がってきたのだ。
今までは裏切られたとの思いばかりだったというのに、今のこれは別種の怒りだった。
王女の魔力はこの国を救う可能性を秘めていた。
それが今まさに裏切られたのだ。
それは王妃が不義を犯したということ以上に王を打ちのめしていた。
そのあまりにも酷い会話を王女は先ほどからぼんやりとしながら聞いていた。
自分の命がかかっているというのに呑気なものだが、困ったことに意識が別の場所に飛んでいってしまったのだ。
――妙な話だが、この会話に聞き覚えがあるのだ。
(そうだ、この会話を俺は……知っている)
王が王妃の不義を責め、そして大層美しい少女の首が刎ねられる、そんな夢を先日――いいや、もっと前のことだっただろうか――見たような記憶があった。
あれは一体どのような夢だったのだろうか?
首を刎ねられた美しい少女の瞳は、まるで硝子玉のようであった。
ただそれだけが印象に残っている。
光を映すことのないまま、少女は乱心した王の手で、そのほっそりとした首を落とされるのだ。
それを王女は第三者の視点で一部始終を見ていた。
そうだ、あの時の会話が今まさに再現されているのだ。
今まさに目の前で行われている王と王妃の会話がそれであるとするならば、首を刎ねられた少女というのが彼らの言うところの【王女】のことであり――それは何故か今、自分に向けられているのである。
自分が王女と言われるものであるとはあまり考えたくはなかったものの、こうして会話の中に飛び出すそれらを耳にしていけば、やはり、そう確信せざるを得ない。
そうだ、今の王女はこの国の王女様なのだ。
(マジかよ……)
軟禁生活がずっと続いている間、目も見えず、知識もろくに与えられることなく過ごしてきたため、この【王女】にとってみれば、自分がこの国の王族という話も寝耳に水であった。
兎に角だ、やんごと無い生まれの殿下であるのだからと、侍女二人と家庭教師と名乗る女傑が王女を厳しく教育しようとしてはいたものの、王女はこれに逃げ回ってきたのである。
そして今のこれである。
(道理で散々ものを覚えさせようとするわけだ)
高貴な身分どころか、頂点に立つような身分なのだろう。
だからこそ王女には、最低限の振舞いやら言葉遣いを覚えさせたがったのだ。
けれど――
(ふざけてるにも程があるだろ?だって俺だぜ?鬼子のアッシュがどこぞの国の王女様だぁ?)
有り得ないと思わず顔を覆いたくなるものの、緩く頭を振るにとどめた。
けれど、それが本当だと言うのならば、こういうことになるのだろう。
このままこの修羅場が演じられ続ければ、待っているのは王女たる自分が死ぬということだ。
厄介なことに妙な記憶だか夢だか分からないものがあるものだから、回避出来るものならば、その死を回避したかった。
そもそもが、【死】などというものを、容易く受け入れるわけにはいかないのだ。
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